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―― welcome home.
―― おかえりなさい。
少しくすぐったくて、温かい言葉。
車両故障で、半日足止め。
出発点であり、終着点でもある駅にようやく着いたのは夜中の事。
"やあ、お疲れ様"
"お前も大変だったろう"
労ってくれる駅員に、にゃあとだけ応えて。
「教会は…明日行こう」
いつもだいたい最初に"おかえりなさい"を言ってくれるリーダーですら
眠っているだろう時間だから、長老猫の元を訪れるにも適さない。
予定より大幅に遅れたけれど、疲れた身体をひきずって。
真っ先に向かおうと思い立ったのは彼の寝床。
どこにいるだろうか。
あの気まぐれな天邪鬼は。
まあ、だいたいの見当はついてる。
ネズミもゴキブリも眠っているんじゃないかと思える静かな街を、黄色いトラ縞猫が小走りに横切る。
最初に訪ねてみたのは彼が昼寝するのに好む、レストラン裏の空地の植え込み。
しかしそこに求める姿は無かった。
「…あれ、ここじゃないか」
ふーむ、と少し考えて…引き返す。
しかし次のアテも外れてしまい、超過勤務による疲れも相まって…歩きながらでも瞼が重く感じられてきた。
最後の心当たりは、駅を挟んだ反対側の公園。
しばらくは列車も通らないと分かっているので、少し横着して線路を横断する。
やっと鼻先を掠めた目当てのオス猫の匂い。
「…やっぱりこっちだったかぁ~」
確信を持ったので、気力を振り絞って柵を飛び越える。
よく考えてみれば、ここが駅から一番近い彼の居場所だ。
ムダ足にならなくて良かった…と小さく溜息をついて近付いたのは公園のベンチ脇、花の終わったモクレンの木の下。
葉っぱの向こうで、先が房になった尻尾がぱたんと揺れた。
「やあ」
お邪魔するよ…と断りつつ、モクレンの側に植わってる丸く刈られた低い木の枝葉をくぐると、
そこを"自分の居場所"だと主張する大きめの猫が目を開ける。
「……ん」
やってきたのが見知った猫だと分かっていたのか、姿を確認するとまた寝入ってしまったようだ。
「カーワイイ顔しちゃって」
見に来て良かった…と笑って、隣に寝そべる。
決して広くはないスペースなので、側の木の幹に手を当てて…
身体を部位毎に何度かに分けて伸ばし、最後に大きくあくびをひとつ。
目を細めて、閉じて、少し開けて、瞬きをして。
身体をねじって、伸ばして、首の角度が変わっても。
彼の尻尾の房が、思わせ振りに持ち上がるのを横目で見続ける。
ゆらゆら揺れる房を目で追って、彼の上下する胸にも時折視線をやって。
そうこうするうちに、彼はまた深く眠ってしまったようで。
動かしていた尻尾も、やがてへたりと地面に這った。
「…カーワイイなあ、もう」
それにしても、ああ眠たい。
伸ばした体の筋は、じわじわと重みを増してくる。
実際に重たくなってる訳ではないが、いつもより余計に働いた身体は睡魔を歓迎していた。
眠たい。
……んだけど。
手を伸ばして、ちょいちょいと彼のたてがみに触れてみる。
毛先を撫でただけだが、その下の彼の皮膚はもぞもぞと波打った。
「ふふ…ふふふふ…カーワイイなー」
眠たくて、重たくて、どうしようもないのだけれど。
もう少し近付いて。
というかもう寄り掛かかるくらいに側へ行って。
手足を投げ出し、横向きに寝ている彼の腹に首を擦り付けてみる。触れられた事に反応して少し目を開けたけれど、すぐにまた深くへ戻っていく。
今度は明るい色の胸元に鼻先を押し付けてみると、土の匂いがする。
それに混じって、幼いメス猫の匂い。
「シラバブと遊んでたんだ」
リーダーは今日は(厳密にはもう昨日だけど)忙しかったのかな。
思いがけず、昼間の彼を想像できたのがなんだか可笑しくて。
「…ふふふふっ」
少し得した気分だ。
そう思ってつい声に出して笑ってしまう。
「…ぅ~…」
ぐっすり眠っていた彼が、のそりと動いて目を開けた。
側にぴったりくっついた猫が、肩を揺らして笑っていれば当然か。
「ごめんねタガー、起こしちゃった?」
まだ眠っていたいたらしく、なにも言わずにじっとしている。
そのぼんやりしてる顔がなんだかたまらなくて近付いた。
じっとこっちを見ているが、2度3度と耳をぴくつかせただけ。
大きくあくびを…
「……!」
あくびをしようとしていたのだけど。
大きく開いた口の横を、つまり頬をぺろりと舐めてから。
顎を押さえて、唇も舐めさせてもらって。
それに気付いたタガーは口を閉じないでおいてくれたから。
「……ッ…ん」
そのままその大きな口に滑り込む。
タガーは舌ですらまだ眠そうだ。
でも緩慢に動いて、柔らかく絡んでくる。
「…ッ…」
「おはよう、タガー」
「…おはよーじゃねえよ」
夜中じゃねえか、と言ってごろんとそっぽを向かれる。
それでもめげずにタガーを背中から抱き寄せ、たてがみに顔を埋めた。
イヤがる素振りもないが、かといってそれが彼の天邪鬼的な態度とも思えない。
ただ、自分がそうであるように…彼もかなり眠たいのだろう。
とりあえず、ひたすらタガーの体温と匂いを堪能する。
何日もずっと人間としか触れ合っていなくて。
それはもちろん悪くないのだけれど、やっぱり猫の毛の感触はいいなぁと思う。
もあもあのたてがみの向こうに、タガーの首輪を見つけて。
その下の皮膚をゆるく引っ掻くように歯を立てる。
掻かれた場所が妙に気分が良かったみたいで、タガーの脚がぴょこぴょこと持ち上がった。
ぐいと首を伸ばして、更に広い範囲を噛むように無言で要求。
その様子に目を細めて、いそいそと応じる。
後頭部の方は…少し強く掻いてもいいようだ。
しかし一方的に言うことを聞くだけではなくて…
タガーの首を噛みながら、黒と金色の混じる脚を撫で回した。
徐々に内側に向かって手を伸ばすと、タガーの身体全体が何度か震える。
それがとても楽しいので続けながら、伸び上がって彼の耳を捕まえた。
少し身体を起こして、上から押さえつけるように耳の内側を舐める。
タガーは逃れようと身をよじるが、体勢的にも無理だ。
ぴくぴくと細かく動く耳をしつこく構って、ついがまんできずに笑いが漏れる。
「ふふっ… た・が・ぁー 」
「…ッ」
ここで初めてタガーが短く息を詰めた。
うん、かわいい。
とってもかわいい。
こんなデカくて、ヒネた猫が、何故かとても愛しい。
もしかしたら、ヒネてるのは自分の方かもしれない…と、一瞬思わなくもなかったが、すぐに考えを改める。
これは誰でもカワイイと思うだろう。
そうに違いない。
自分の考えに、うんうんと頷いて。
タガーの腰を撫で回しながら、耳やら肩やらを舐めたり噛んだり。
全く抵抗しないようなので、抱き締めた腕の力を少し抜き、自分もすっかり寝転んだ。
「…っん…」
背中の毛を舐めあげて、小さく聞こえたタガーの喘ぎにうっとりする。
もっと聞きたいなあ。
そう思ってタガーの尻尾を掴んだところまでが、
勤労猫・スキンブルシャンクスの意識の限界だった。
「……ゃ…っ」
呼吸が乱れ始めたタガーの口から漏れた僅かな声が、あたりにやたらと響いた。
しかし、握ったタガーの尻尾の感触を楽しむように
スキンブルの指が何度か動いたのを最後に……訪れたのは静寂。
「………」
「………オイ」
「……ぐー…」
タガーは我が耳を疑った。
背中にくっついて、平和に寝息をたて始めた猫がいる。
気持ちよく寝ていた自分を起こした張本人。
しかも、あろうことか色事に持ち込む素振りを見せながら、
それでいて途中で寝込むとはどういう了見か。
「…おい、スキンブル」
返事は無い。
ただ規則的に呼吸しているだけ。
すっかり目は覚めてしまったが起き上がる気力はなく、
とりあえず尻尾をぴしりとやってスキンブルの手を振り払う。
滑り落ちたスキンブルの手は、
のろのろと探るように這ってきて再びタガーを抱きすくめた。
「………コラッ」
タガーは起こし返してやろうかという考えと、それもまた面倒だという思いとに揺れる。
「……タガ~…」
寝ながら、まったくもって判別のつかない事をごにょごにょと喋っているスキンブル。
「…っ…ね、タガー…」
「…ぁあ?…なんだよっ」
反射的に聞き返す。
しかし他には何を言ってるのかサッパリなところをみると、やはり眠っているらしい。
もし少しでも目を覚ますなら、苦情のひとつも述べてやろうと思った時、
ふいにスキンブルの発した単語を聞き取ってしまった。
「…ただいまぁ…」
よく聞けば、仕事のことであるらしい内容を喋っているから、
眠ってまで夜行列車やらお客やらの事を考えてるのかと、タガーは呆れた。
しかし何故か、その後も合間に『ただいま、タガー』と繰り返す。
「…寝るならしっかり寝てろっつの、列車バカ」
寝言ってのは恐ろしいもんだと思いながら、自分もまた眠ろうと目を閉じる。
しかし、まどろんでいるとふいにスキンブルの声が耳に入ってきて眠れない。
そうこうするうちに、また『ただいま』と言ってぎゅうと腰を強く抱いてきた。
「…タガー」
タガーは居心地悪そうに手足を伸ばしてから小さく舌打ちをして、口を開く。
「………おかえり」
スキンブルはタガーの首元に額を擦りつけてごろごろと喉を鳴らした。
そして、その後は静かに寝息だけを繰り返す。
「……テメ、起きてんじゃねえだろな」
その問いに応えはなかったが、むしろ起きていられては居たたまれないと
思い直したタガーは今度こそ寝てやろうと目を閉じた。
2匹の猫が、公園の植え込みで夜を明かす。
空が白み始め、霧が出てきて、いつもなら少し身体が冷える時間。
しかし今朝はとても背中が温かくて…気持ちがいいけれど、不思議に思って目を覚ます。
「おはよう、タガー」
振り返ると、スキンブルが自慢の笑顔で寝転んでいた。
その平和な顔に向かって、最高に上機嫌な顔をしてみせる。
「…ゆうべは随分礼儀正しかったじゃねーか」
「ゆうべ?」
ああ…と苦笑してタガーの尻尾を捕まえるが、すぐにするりと抜け出していった。
特に追いかけずに、タガーの顔を見上げる。
「ごめんね、期待させたのに寝ちゃって」
「してねーよ」
駅員にでもサカってろ、と言ってべーと舌を出す。
「続きしよっか」
「お前、オレの話聞いてるか?」
「もちろん」
だから続きをしよう、とタガーの腕を引き寄せた。
転がったままのタガーに顔を寄せ、軽く唇を合わせる。
イヤがらないので、今度は深く口付ける。
「……ん」
お互いの口の中を舐め合って…スキンブルは離れたタガーの唇を名残惜しそうに
ぺろりと舐めて微笑んだが、タガーは難しい顔でそっぽを向いた。
「あーダメだハラ減った、ヤるどこじゃねーわ」
「えぇ~っ」
起き上がろうとするタガーをぎゅうと抱きしめて抗議。
しかし、タガーの金色の目がじろりと向けられて…腕の力を緩めた。
「せっかくその気になってるのにー」
残念ではあるがこの仕打ちは昨夜、自分が彼にした事だと諦める。
狭い植え込みの下なのも構わず、タガーはあくびをしながら大きめの身体を伸ばした。
後足でガリガリと耳の横を引っ掻くスキンブルを振り返り、口の端を上げる。
「…そのヤル気とっとけよ、とにかく何か食ってからだ」
そう言って、植え込みから出て行くタガー。
タガーの見せた表情に尚の事引っ込みのつかない気分にさせられて。
でも、発言の内容は非常に期待できそうなものだったので…ここが堪えどころかとも思う。
くるくると目の前で振られた尻尾を追って、スキンブルも立ち上がった。
「さあて…どこで何食うかなー」
時折エサをもらう家々をいくつか思い浮かべて、広い場所でもう一度伸びをする。
隣でやはり背を伸ばしたスキンブルは、思い出したように口を開く。
「あ、じゃあせめて先に"お帰りなさい"を言ってよ」
タガーを覗き込み、鼻先をちょいちょいと突付いてみた。
「…何だソレ、んなのマンクかシラバブにでも言ってもらえ」
すごく不快そうな気配をさせたのは一瞬で、
すぐに何とも思ってない風に黙ってニヤニヤするのは、いつもの彼の調子だ。
それに対して、マイペースに大袈裟な溜息をついてみせるのはスキンブル。
「つれないなぁ、僕の旅の終着駅はいつでも君なのに…」
「…アホかっ」
「だからほら、やっぱり君に迎えて欲しいわけ」
両手を広げてにっこり微笑むスキンブルを、タガーは横目で見てへっと嘲笑う。
「…ヤダねっ」
ゆうべの自分を思い出してしまって。
何とも言えない気分になったタガーはスキンブルを追い越し、駆け出した。
それを笑って追い駆ける。
本当は何も言ってくれなくてもいい。
だって彼がここで自分を待っていてくれたのは知っているから。
この公園へ一番近い猫道には、新しい彼の匂いがあった。
「待ってよ、いいじゃない一言くらい」
「ぜってー言わねぇ」
―― welcome home.
―― 旅の無事を歓んで。
END
2005.10.31
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