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時折風になびく雲間から、半分だけの月明かりが照らす。
浮かび上がるのは、くるりと目がふたつ、ピンと白い耳。
昨日の夜から降り続いていた雨で、誰の匂いも薄れてる。
今頃みんな、出歩いてナワバリの見回り中だろう。
それなのに。
一際強く残っている匂いがあった。
オトナのオスの匂い。
逞しく自信に満ちていて…さぞメスの気を惹いてることだろう。
しかも、雨が上がってすぐに寝床を出てきたのに、もうあちこちでこの匂いがする。
こんなのは彼の仕業だ…たてがみを靡かせる姿を思い出し、クスクス笑う。
「何か面白い事でも?ミストフェリーズ」
澄んだよく通る声、見上げるとちょうど月明かりに浮かんだグレーと黒。
「君の姿は、今日のような暗い夜には気付きにくいよ…声がしたから分かった」
「マンカストラップ」
彼はこの辺りを通るときは屋根の上なのだ。
だから、地上を歩くミストフェリーズにここで出会うのは稀。
「いつもは君が皆を楽しませているが、君をそんな笑顔にさせているのは…」
2色の尻尾を揺らして首をひねるマンカストラップにミストフェリーズが答える。
「ラムタムタガーさ、雨上がりには彼の匂いを辿るのが楽しい」
クスっと笑うミストフェリーズを見てつい一緒に可笑しくなってくる。
街の連中にそれぞれ違う意味合いで“変わり者”と称される“彼ら”は、不思議ととても仲が良い。
「雨の中を散歩するからな、あいつは」
「そう、今頃きっと…どこかで"昼寝"してるはずさ」
それじゃあ、とまたそれぞれ自分の道筋に沿って歩き出す。
2匹のやりとりを見ていた月は、まるでウワサの彼のように気まぐれに、雲の中に姿を消した。
我々は猫なので。
夜の闇とは慣れ親しみ、ましてやそれを嫌う理由などない。
そりゃあ例え半分でも月が出ているような夜は、気の合う連中と歌い踊るにもってこいだ。
けれど今夜のように雲に隠されていても、訪ねる猫を探すのに困りはしない。
小さなレストランの裏、草が生え放題の小さな広場。
名前など知らない花の咲く植え込みの下に、彼はいた。
大きな身体を丸めて、眠っている。
そおっと近付いて分かったが彼の身体はまだ湿っていて、
自慢のたてがみもしっとりと彼の輪郭に沿って萎えていた。
さて、どうしたものか?まあ彼の事だから、のんびり話をしようなんて言っても無理だろう。
しなやかに身を翻し、また夜の中に紛れていってしまうかもしれない。
そうかと思えば、たくさんのメス猫と、街中に知れ渡るような大騒ぎをしないとも限らない。
声をかけようか…少し迷いながらもう一歩踏み出した。
その瞬間…!
しゅっと素早い動きで向かって来るのを、それがどういう状況かを考えるより先に、本能で後ろへ飛び退いた。
しかし、着地したところを押さえ付けられる。
「…ッ…タガー!」
頬に鋭く食い込むのを感じた時、やっとで声を出す。
「…ミストフェリーズ?何だ、こんな驚かせ方ナシだぜっ」
どうせならもっと気の利いた事してみせろ、と口を尖らして。
自分の領域を侵す者と勘違いしたのが分かったので、すぐさま解放して起き上がるのに手を貸す。
「別に僕は普通にしてるだけで…いやでも、今のは悪かった」
やっぱり先に声をかけるべきだったと反省。
「…俺に用か?」
もちろんそうだけど。
「まあちょっとね。でもまた今度でいいよ…ジャマしてごめん、それじゃあ…」
「待てよ」
立ち去ろうとする黒い背中を、タガーが呼び止めた。
ミストフェリーズが振り返ると、まだ湿っている体を伸ばしながら彼は言う。
「急ぐ訳もないんだろう?ゆっくりしていったらどうだ」
首周りの毛を指先で整えて、寝起きとは思えないステキな笑みを見せる。
メス猫達が、夢中になってしまう顔を独り占めだ。
「じゃあお言葉に甘えて…隣にいいかな?」
いつの間にか空は晴れていて…ぼんやりと、月が顔を出した。
やっぱり。
ひねくれ者で有名な彼は、立ち去ろうとした僕を呼び止めた。
これが、まともに"顔が見たくて来た"などと言おうものなら…もう彼は僕の鼻の利く範囲にはいないだろう。
「今日はいい月だよ、ほら…waning moon…東洋では下弦の月とか言うらしい」
ね、と微笑んでみせる。
月は雨上がりに見た時よりもだいぶ高く昇っていた。
そこから少し視線を下げて、隣に座っているタガーの横顔を眺める。
「んん…まあまあだな」
あまり楽しくもなさそうな反応をするところをみると…機嫌は良いようだ。
よく眠れたのだろうと思う。
しかし雨に濡れてから屋外で寝ていたのだ、寄り添った身体の表面は、まだひんやりと冷気を纏っている。
「さわっていい?」
大きな口が問いに答えるより先に、ミストフェリーズのしなやかな腕はタガーの逞しい腕に絡まった。
そして、大きな手の甲に一回り小さな手指がそっと添えられた。
そのまま、脇に抱えた腕に頬を寄せる。
まるで子猫が母にするように。
タガーが何も言わないのは、この状態を悪く思わないからだろうと判断…
今度は透けた琥珀色の瞳で彼を見上げてから、艶のある毛並みに沿って舌を這わせた。
まるで彼を欲しがるメス猫のように。
「…オマエの触り方、悪くないんだよな」
目を細めて、一見されるがままになるタガー。
「ん、そお?」
二匹だけでいる時の彼は、それほど天邪鬼ではないとミストフェリーズは知っていた。
そう知っている者がそう多くは無い事も。
彼のたてがみのような首周りの毛は、ほとんど乾いてさらさらと頬に優しい。
少し色の薄いその毛は、月明かりにぼんやりと浮かんでキレイだった。
舌で辿った腕、今度は抱えた指先を甘く噛む。
そして、ミストフェリーズはふわりと立ち上がり
タガーの向かいに移動すると彼の胸元に顔をつけて、体全体を擦りつけるように預た。
鋭い目をじっと見上げ、にゃあと鳴いてみせる。
こうしてやっと、タガーの腕がミストフェリーズをすっぽりと抱き寄せた。
年若いとはいえ決してもう子猫ではないのだが、彼と比べれば大抵の猫は小さくなってしまう。
飼い猫特有の柔らかい毛の触り心地は抜群だ。
黒い背に顔を埋め、胸元の白い毛並みを大きな手のひらで撫でる。
その小さな背中に首元を擦りつけていると、自然とごろごろと喉の奥が鳴った。
ミストフェリーズは、タガーの行動がかなり思い通りになるので…
まるでみんなに初披露するカードマジックが上手くいった時の気分だ。
「…ん、なんかオマエ…うん?」
ふいにタガーの顔がせわしなく背中を上下する。
ミストフェリーズは一瞬不思議に思ったが、
すぐに何をしているかが分かったので笑いを堪えて"普通"に尋ねた。
「……なあに?」
タガーは鼻を鳴らして黒い毛並に顔を埋める。
「んー…なんか…フンフン…ん?んんん…イイ匂いがするなっ甘い匂いだ」
ふふふと笑った黒猫は、逞しい腕の中にあって尚しなやかにくるりと体ごと振り返った。
「正解」
その両手にようやく収まるような甘い香り。
「おおっ?!」
「マフィンだよ、プレーンだけど…チョコチップも入ってる」
片手分だけちぎって自分の口へ運ぶと、あとは全部差し出す。
ラムタムタガーはミストフェリーズの"魔法"の大ファンだった。
誰よりも彼を評価しているつもりだ。
なのでその偉業を称えて、彼の出現させたマフィンを有難く腹に収めてやってもいい…
と思い、実際に躊躇なく大きな口を開ける。
「うん…ん、まあまあだな!」
彼なりに大絶賛。
ミストフェリーズはここへ来る途中…3番街のパン屋の勝手口から出てきた泥棒カップルに出くわしていた。
『おや、お二人さん』
『ミストフェリーズ!散歩かい?』
『雨上がりだからね。ああそうだ、良かったら君らの戦利品と…コレを交換しないかい?』
パチンと鳴らされた指。
その手に突然に現れたガラス玉。
2人の顔は、興味で輝く。
『ね、ね、マンゴジェリー!』
『ああ!』
キラリと光るそれは、ただ見るだけなら3日で飽きてしまう物かもしれないが
目の前で起こった不思議に二人は気を良くしたのだった。
偶然に手に入れた焼きたてマフィン。
効果絶大。
「…んん、まあまあ、うまかった!」
満足げな彼の顔。
月明かりでよく見えていた。
夜の闇に甘い香り。
黒い毛並みの猫が2匹。
「今度は君の方からいい匂いがするよ、タガー」
顔を近付けて、口元を鼻で掠める。
再度、体を預けてくるミストフェリーズを捕まえたタガーは、
彼がさっき自分にしたように頬を摺り寄せた。
しかしすぐに顔を上げ、さっきマフィンをほお張った口から舌を覗かせると、
ミストフェリーズの白い耳の淵をなぞる。
「…ン…」
小さく喘いだだけで、ミストフェリーズもまたラムタムタガーの体をまさぐり始めた。
土と草の匂いのする大きな体は、小さくて器用な指に撫でられてざわつく。
「…んっ」
ミストフェリーズはタガーの呼吸が少し乱れたところで、目の前で仰け反る喉元に噛み付いた。
「…っ…ぁ…」
体に力が入らなくなり、ミストフェリーズを抱き寄せていた腕は、細い首にしがみつく為のものになる。
その様子はある意味とても色っぽく見えて…
発情したメスと同じくらいに刺激的だ…とミストフェリーズは思っていた。
何故、自分も彼も、オスなんだろう。
まあ何にせよ、時折こうして彼を求めに来るのだけれど。
彼もそれに応じてくれるのだけれど。
ほんの少し考え事をしている間に、タガーがミストフェリーズの拘束から逃れた。
といっても、喉を押さえている歯をミストフェリーズの顔ごと退けたに過ぎない。
「…っん、とに油断できねーなっ」
ふうと息をつくタガーに、不思議な笑顔を見せるミストフェリーズ。
「ラムタムタガー」
「うん?」
決して行為自体をやめようとはしないのだけど、
いつまでたっても素直にはならない辺りが…彼らしくて気に入ってる。
「たまには僕に入れてみる?」
「…なんでオレがっ…お前がしたがるからヤってんだろっ」
そーだよねと笑いながら…大きな彼ををうつ伏せにひっくり返した。
広い背中に被さるようにして、囁く。
「…僕やっぱり君の事好き、ラムタムタガー」
うっとりと、優しい声の小さな黒猫。
「…んん?オレもお前嫌いじゃないぜ、ミスト」
いつもの調子で、そう答えたのは大きな黒猫。
「良かった」
笑って見上げると、ずっと自分達を照らしている月。
ひとりで見るよりずっとキレイだな、と思い付いて…嬉しくなった。
重なる黒い影。
雨上がりの小さな空き地に響く、甘い睦声。
組み敷いたタガーの腰を上げさせて、尻尾の付け根を握り、そっと裏側を覗き込んで舌を伸ばす。
「…っ…ぅんっ…」
緊張からか、先が房になった長い尻尾は彼自身の脚の間に入り込もうとしている…
それをなだめる為に、ミストフェリーズはタガーの体の他の部分から舐めてやることにする。
「…っ…ふ、ぁ…ッ」
彼の長い脚の毛を繕い、腰に頬を撫で付けると、まるで物陰に隠れた子猫のようなか細い声が聞こえた。
それが他ならぬタガーの声であると知っていたので、そ知らぬふりで愛撫を続ける。
自分よりもずっと体格のいい彼なので、上に圧し掛かっても問題ない。
背中から肩に顔を擦りつけ、首に噛み付く。
「…ゃ…オマエまたそこ…ッ」
タガーは身動きができなくなるのがひどく不安なようだった…
ただ単に性質だろうが、よく分からない。
他のオスとじゃれたって、メスだって、こんなに抵抗しなかったとは思う。
でも、彼がイヤがるのを見るのは…これはこれで、すごくイイ。
タガー自身にしても、悪気があっての事ではないと理解しているので甘んじて受けている。
しばらくあちこちを構って、タガーの様子を楽しむ…
そうするうちにミストフェリーズのオスとしての衝動も強くなってきた。
目的の場所に近付きつつあるのをごまかす為、今度は尻尾の先から舐め回し…だんだんとまた根元に向かう。
「……んんっ…」
中程で軽く歯を立てると、尻尾だけでなく彼の腰も妖しくくねった。
「タガーは時々、すごく可愛らしいね」
聞こえないように小さく笑って素早く身を屈めると、タガーの尻尾の根元裏側を舌で捕らえる。
「…んぁ…ッ…ぁ、やぁっ…」
彼の匂いが最も強く感じられる部分を、ザラつきの少ない舌先だけで舐め回した。
唾液で湿らせたところで、間をあけずに彼の体に入り込む。
「…!ッ…ああぁっ…ぅん、ん……はぁ、ぁ…っ」
痛みと性的な衝動とにもみくちゃにされながら、タガーは何よりも暴れてしまわない事だけ考える。
「…んぁ…ッァ…っ」
せめて今は声をあげて、事が済むのを待つ。
ミストフェリーズに求められるのは嫌ではなかったが、どうしても伴う苦痛はできることなら遠慮したい…
ただ彼に舐め回してもらうだけならもっと良いのにと思うが、そうもいかないのも承知していた。
「…もう、終るから…っタガー…ッ」
月明かりの路地裏に、傍からすれば悲痛にも聞こえるオス猫の声が響いて消えた。
月明かりが曇る。
空気がまた湿気を含んできた。
欲求が満たされたので、急に冷静になる。
タガーは小さくなって肩で息をしていて…なんだか悪い事をした気になってきた。
まだ交尾の体勢のままなので…彼がそれを嫌うと分かってはいるが、そっと首元に歯を立てる。
こうしてないと、痛みで暴れたらお互い危険だ。
「…ッ…」
体に力が入らなくなった瞬間を狙って、自身を引き抜く。
「…!…ぁぁぁッ」
出ていく抵抗感と、行為が済んだ安堵。
先端が引っかかる痛み…それ自体はさほどひどくないのだが、痛む場所に馴染みがないので。
なんだかとても心細く感じて…それが自分の弱みのようでイヤなのだ。
ミストフェリーズが、つい今しがた解放したタガーのソコに顔を寄せた。
傷にはならなかったようだが、いたわる様に優しく舐めてやる。
「…ぅん…っ…ミストフェリーズ…ッ」
うつ伏せでぐったりしていたタガーはびくりと反応した後に掠れた声で何か言うと、長い尻尾で地面をぴしゃっとたたいてからゴロンと転がった。
ミストフェリーズは、すぐにタガーの顔を覗き込む。
「…何だよ、もっと満足そうな顔しろよ」
あんなにしたんだからと笑って、不安そうなミストフェリーズの鼻先をペロリと舐めた。
きまぐれだけど、イヤな奴じゃない。
実のところ仲間の猫には優しいし、イタズラして困らせるのは主に人間や近所の犬達だ。
……まあ仲間達にも、大抵は素直でないのだけれど。
「そっちよか、もっと体中舐め回してもらった方がよっぽどいい」
毛づくろいする手間がねーからな、と言ってべえっと舌を出す。
彼は毛玉を吐くのが苦手だ。
ああ、テレてるのか。
ミストフェリーズは安心すると同時に何だか嬉しくなってきた。
「タガーはステキだね」
聞こえないように呟いて、彼の自慢のたてがみに擦り寄った。
額を、肩を、長い脚を…撫でながら、舐めながら、じゃれついてみる。
眠たそうに目を閉じて、時折ミストフェリーズの鼻先に噛み付くフリなどしながら、めずらしく静かに過ごす。
そして、ミストフェリーズがもう少し一緒にいたいなぁと思ったその時、彼は顔を上げた。
「さてと、オレは行くぜ」
気付いてはいた。
雲行きがあやしい。
「…どこに?」
聞いても仕方ないのに。
「知りたいなら…教えてやんねーよっ」
ほらね、やっぱり。
「そこ、オレの特等席だけどな…オマエがいたけりゃ今日だけ貸してやってもいーぜ」
ああ"素直じゃない時"のラムタムタガーだ。
だから今のは、早く帰れって言ってる。
「ううん、遠慮しておくさ…雨が降って来る前に帰るとするよ」
ミストフェリーズの返事を聞いて…
黙って、優雅にも思える動作で植え込みから出たタガーのたてがみは、湿気た風に撫でられて少しだけ揺れた。
それを追う様に空き地の砂利に踏み出すと、置いてある自転車を足掛かりに壁へ、
壁からレストランの屋根の上へ、黒い大きな姿が登っていく。
見上げると、今にも雨粒を落としそうな雲の隙間から一瞬だけ明かりが漏れる。
「じゃあな」
短く言い残す彼は、こちらを振り返っていて…たてがみはキラリと月明かりに揺れた。
屋根の向こうに彼は消え、ずっと自分達を照らしていた月も、今度こそ雲の向こうへ行ってしまったようだ。
今夜はもう、会わないだろう月に…微笑み返して、小さな黒猫は家路を急いだ。
END
2005.6
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