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エジプトの宰相・ゾーザーは早くに妻に先立たれていたが後妻も持たずにその愛情の全てを二人の息子に注ぐという…ちょっと迷惑な男だった。
「ちちうえー」
「…福井ラダメス、どうしたのだ?」
今も、妻と似た顔立ちをした二番目の息子が駆けてくるのを見つけて、まったくもって"宰相"としての叡智などカケラもない顔になっている。
「…っぁ、あにうえが…っ」
膝をついて両手を広げると、目を赤くして涙をためた息子が父の元へやってきた。
「どうしたというのだ、男がそう泣くものじゃない…が、しかし泣いてるお前も可愛いなぁ食べてしまいたいくらいだ、そんな罪の無い顔を周囲に晒していてはさらわれてしまうから気をつけなくては…うん?なんの話だったか…ああ阿久津ラダメスがどうした、ケンカでもしたか?」
腕に収まる息子は父のひとり言に近い長台詞には慣れていたので、それが終わるのを待って"泣いてません"と声を震わせて、ぐすっと鼻をすすりながら父の服を掴む。
「…福井ラダメスはイヤだって言ってるのに…あにっあにうえが…」
父は息子の乱れた服を直してやりながらうんうんと頷く。
「…むりやり…服をぬがそうとして…っ…たすけて、ちちうえ…っ」
「…な…っ」
よく見れば福井ラダメスは裸足で、言い終えると今度こそ泣き出してしまった。
「…阿久津ラダメス…なんという羨まし…!いや、ふしだらな事…!」
いくら福井ラダメスが可愛いらしい目で見上げてくるからとて。
小鳥のさえずりのような心地良い声をしているからとて。
「……この父が耐えているものを…ッ」
福井ラダメスの背中をよしよしと撫でながらゾーザーは、兄の阿久津ラダメスを探そうと決めたが、その必要は無かった。
「父上!福井ラダメスがこっちに……あ、いた」
状況を見て、また不条理に父から叱られると悟ったが…時既に遅し。
「阿久津ラダメス!お前は…実の弟になんてことを…ッ」
「お言葉ですが父上、俺も福井ラダメスもいつまでも子供じゃありません!」
既に父親との言い争いに慣れている阿久津ラダメスは、すぐさま反論した。
「父がじっと耐えて見守っているというのに、お前が福井ラダメスを……ならばいっそ私がっ」
「父上の手を煩わせるまでもありません、俺がちゃんと福井ラダメスを一人前にしますっ」
大きな声で言い合う父と兄の姿に戸惑う弟。
「…ゃ、ごめんなさ、あにうえっ…でもだって、こわかったからっ」
「福井ラダメス…」
兄は弟の泣き顔を見て、冷静さを取り戻す。
しかし父はといえば、福井ラダメスの言葉にうろたえた。
「お前が謝る事はないぞ福井ラダメス、兄にきちんと言っておかねば…」
ふるふると首を振る弟。
父と兄が揉めるのを見るのが哀しくなったので、福井ラダメスは決心した。
「やめ、やめてくださいっちちうえ…あにうえは僕を思ってしてくれたことですからっ」
なんということか。
なんということだろう。
こんなに怯えているのに。
「…兄を受け入れる気か…っ?福井ラダメス…!」
キッと強い表情を作って、父の腕の中から離れる福井ラダメス。
「はいっ…福井ラダメスも、もう泳げるようにならないと…っ」
は ?
呆然とする父をよそに、兄を振り返る弟。
ゴシゴシと顔を拭って、ぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい、あにうえ」
阿久津ラダメスは固まってしまった父には目もくれず、弟を抱き寄せて額にキスをする。
「そんなに怖かったなら…今度はちゃんとゆっくり教えてやるからっ」
微笑んでくれた兄に安心した福井ラダメスはもう一度父の腕に収まると、髭のある頬に小さく口付けた。
「ちちうえ…やっぱり泳ぎのれんしゅうをしてきますっ」
少し赤い目のままで、しかし柔らかく微笑む福井ラダメスに…二人の表情は緩んだ。
勘違いから発生した怒りも驚きも、すっかり忘れた父。
兄が持参したサンダルを履いてまた川へと向かう弟。
その手を引く兄…笑い合う兄弟。
「…我が息子ながら、なんて可愛い奴らだ…っ」
エジプトの宰相・ゾーザー。
自分の息子達に、尋常でない愛情を抱く男。
END
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