14 of MTTBura

MTTBura > 14

『それ』に出会ったのは例年にない朝夕の冷え込みのせいか、早くにアキアカネが山から降りて来ていた彼岸前。

夜更けの茶屋を出て馬車に乗り込む直前、路地の向こうからやって来る男が居た。
真っ直ぐな道をずっと向こうからやってきたのだろうが、その存在にこちらが気付いたのは三間半程度の距離。
袴の衣擦れと西洋の履物による踵からの足音、背広に帽子を被ったその姿がすれ違い様にこちらを見て笑ったように思える。
それだけならば気にも留めなかったが…馬車を進めた先に芸者がひとり、血溜まりの中で事切れているのを見つけて背筋が冷たくなった。

一度目は出会いと呼べるほど確かなものではなかったが、二度目は明らかに巡り合わせが働いているのだと今なら思う。

惨劇の中にあって、『それ』だけが異質に浮かび上がっていたのを覚えている。
いや実際にそこは異様な光景であったのだが、こちらに気付いた『それ』の様子があまりに事無げだったので、
おかしいのは周囲の状況だけだと思わされた。

「私も、殺すのかね?」

咄嗟に口から出た疑問は、身を守る為のものだ。
結果的に吉と出たからそう言えるに過ぎないが、あの現場を目撃していて尚且つ『それ』の本能から逃れたのだからあれは最善の疑問だったのだ。
声を掛けるまでは握った刃で貫いた部分に顔を寄せ、いとおしそうに眺めていた『それ』が、こちらを見ると口元だけで微笑む。

―― 天性。

そんな言葉が過ぎる。
目の前の『それ』は、この世のものとは思えない微笑を湛えてはいたが…間違いなく人間の男で、まだ青年の域を出ていない。

「…あなたでなくても、殺しますよ」

若い枝振りの松に押し付けられた身体は二度と動かず、二人の会話を聞くこともなく、支えを失って崩れ落ちる。
引き抜いた刃が放った独特の匂いに、男は目を細めて溜め息を漏らした。

「私が憎んでも愛してもいない者であれば誰でも、勿論あなたも対象外ではないが…」

帽子を目深に被り直した男は、こちらを上から下まで見て目を伏せる。

「…失礼ですが影山伯爵、あなたの向こう側には血の匂いがします」
「ああ、そうだろうな」
「あなた自身ではなく、しかしあなたを取り巻く全てのものに、美しい血の色が付き纏う」

これは契約の現場なのだと、お互いが承知していた。

「……欲しいのか?」

我ながら愚問ではあったが、様式的に交わさねばならない会話というものは往々にしてあるもので
今更その様式的会話を退屈とも面倒とも思いはしなかった。

「機会をお与え頂けるのならば、何よりも仕事で報いますよ」

人の命を絶つ天性を持った男に出会ったのだと、そう確信したのは自分の天性。

―― この男は、自分に必要だ。

目の前の事態を指示した者の見当はおおよそできていたが、この場合それについては重要ではない。
国を動かす舞台から一人の男が降ろされ、自分は命と引き換えにその目撃者として若干の面倒事を片付けなくてはいけなくなったという事だけだ。
舞台を降りた男の居場所を埋めるのが誰であるか、それは眼前の面倒事の片付け如何によるという事。

「私を招いた男の訃報を、まずどちらに伝えるべきかな?奥方か、裏の門番か」
「では、門番の方が宜しゅうございましょう」


そのとき男は去り際に、いつかの夜と同じに笑った。



「…御苦労だったな」
「万事滞りなく、御前」

命じた事が実行されても数日置くようにしていたが、次の仕事が迫っていたために呼びつけた。
いつもは陽が落ちる時刻の庭先や書斎の窓越しで会話するのが常であったが、
今日は昼日中に贔屓の茶屋の離れに仕事を終えたばかりのその男を迎え入れる。

潜めていても通りの良い声だけ取り上げれば好青年にも思えるが…しかし男が嬉々として口にする事といえば、
温かな血が徐々に冷えていく様、その色、匂い。
特に今日は先ほどの凶状を引き摺っているのか未だ恍惚としていて気味が悪く、しかしそれこそがどうにも興味深い姿でもある。
それに実のところ興味がそそられるのはこの男のおかしな嗜好ばかりでなく、張りのある白い肌や落ち着きのある声、つまりはその存在自体だった。

用の済んだ膳を下げさせ、影山は思い出したように口を開く。
立ち上がった飛田が命じられた通りに障子を引くと、庭池の水面が弾いた午後の陽射しは部屋の天井に映って揺らめいた。

「…飛田、私はね、人の憎しみが好きなんだよ」

さながら、この天井に映りこむ屈折した陽光の如く眩しいのだと呟く。
男は目を細めてから、主である影山に向かって微笑む。

「存じております、御前」
「しかし残念というか、幸いにというのか、私は憎しみの最たる部分を深く感じる立場にないのだ」

傍へ来るよう示すと飛田は開いた障子をそのままにして静かに隣へ腰を下ろしたので、その横顔に影山が手を伸ばす。
こうして改めて見ると生来であろう白い肌と生業の為であろう無駄のない足運びは、出来の良い芸者のようだと思う。

「……っ…御前」

習慣で身構えるも手向かう訳にはいかず両手を下ろす飛田の首筋に、影山は鼻先を寄せて息を吸い込む。
鉄が錆びるような匂いが鼻腔を刺し、それが己の周囲に満ちる憎しみの成れの果てなのだと思うと興奮を覚えた。

「私はお前のように血を愉しむ嗜好などありはしないがね…誰かが私に向かって、或いは私がどこかへ向けた憎しみを私自身が堪能する権利はあるだろう、違うかね?」

影山は忠実で腕の立つ部下である飛田に、それ以上の興味を抱いてしまった。
好奇心よりも更に踏み込んだ部分であるその欲求を満たすのに理由などいくらでもつけられたし、
本音を漏らしたことろで今更それが弱みになることも在り得ない。
ただどちらも面倒だったので、曖昧な言葉でもって、しかし端的に行為だけを要求することにした。

「いけません…御前…っ」

飛田にとって影山は、己の生活と殺人という欲望を満たすのに最も便利な人物に過ぎない。
男色の相手までさせられるのは本来の役割ではなかったが、何の感情も抱いていない相手だけに拒む理由もなかった。
しかし念の為、飛田は袴を解かんと蠢く手に自分のを重ね、初老の主の目をじっと見詰める。

「…悪いようにはせん、ただお前は私にその狂気の一片を感じさせれば良いのだ」

承諾として沈黙する飛田を引き寄せ、昼下がりの陽気にじわりと汗ばんだ彼の首筋を、緩く噛んで反応を確かめた。
殺しを行う職人としての飛田には無い初々しさが垣間見え、影山は小さく笑う。

「御前…」

影山は興が乗ったと言って襖を開けると隣の部屋へと踏み込み、飛田は手を引かれてそれに続く。
準備されていた一組の布団の中に収まる頃には、すっかり衣服を落とされていた。
開け放たれたままの障子の向こう、先程まで過ごした部屋の天井には揺れる水面。

「…ぁ…っ…」

まだ陽は高く、庭木はぬるい風に吹かれてさわさわと音ともいえぬ音を立てている。

「…お前の肌は、そこらの娘よりもずっと男好きする心地だな」

肩から腕、腰と内腿を撫でまわした手はもう一度頬を滑っていく。
躊躇いがちに背に回された飛田の腕に、影山はこの上ない優越を得た。
また白い喉元に舌を這わせて何度か歯を当てると、その都度何かしらの反応が返ってくる。上擦った声も、震える皮膚も愉快でならなかった。

「…ッ…ぅ…」
「期待を裏切らぬ奴だ、生娘のように丁寧に扱ってやろうか、うん?」

見下ろされた飛田は影山から視線を逸らして、表情を隠した。
その様子を更に好ましく思い、影山は飛田を転がして背を向けさせる。
酒のせいだけではなく色づいた肌は指先が吸い付くように滑らかで、やや癖のある髪をかきあげて露わにしたうなじは一層白く目を引いた。

「…男を経験したことはないのか、こんな身体をしているというのに」

影山は四つん這いにした飛田の尻をまさぐりながら笑う。
小さく首を横に振った飛田の苦しげな呼吸に興奮させられ、用意していた椿油を取り出すと目的の場所へと塗りこめる。

「…ん、ぅ…っ」

強引にだがしかし受け入れられない程ではない影山の指が飛田の中を押し広げた。
浅い呼吸を繰り返して小さく喘がされながら、行為が始まらない事と早く終わる事との両方を祈る。

「お前の身体は夥しい血を浴びているのに、こんなにも白いなんてなぁ」

快楽を求めて抱く身体には多くの憎しみの果てが染み込んでいて、それが己を惹きつけてやまないのだと思うことにした。
影山はそれこそ憎らしく思うような気持ちで、飛田に丁寧な愛撫を与える。

それから仰け反る身体を押さえつけ、指を引き抜いたばかりの場所に己自身の熱を捻じ込む。

「ぅ…っぁ、ぁ…ッ…御前…」
「…これが、血の匂いなのだなぁ…なあ飛田?」

背中に、髪に、顔を近付けて突き上げ、大きく息を吸い込む。
先程より薄れてはいるものの鉄錆のような匂いは依然感じられるし、何よりも飛田という男そのものが、今は自分と周囲とを繋ぐ憎しみの形。
その色はこの男が愛してやまない血の赤なのだという思いに嫌悪を抱きながらも、求めるのを止められなかった。
「…っぅ、ん……ん、うぁ、ぁッ…」

思ったほど苦痛ではないが、快楽とも違う何かが腰の奥を出入りするので、腕を敷布に突っ張って身体を支えていると、天井で光る水面が見えた。
それは元々揺らいでいるが、今はもっとずっとぼやけて見えている。
それが自分の目に涙が浮かんでいるからだと分かってからは、何故か取り留めなく声があがった。そうすれば胸の息苦しさは紛れるが、その声が影山に聞かれていることが別の苦しさに繋がる。
しかしそれを耳にする影山にしてみれば、飛田の喘ぎは愉悦でしかなかった。

「…もっと鳴け、飛田…ッ」



気付くと陽が落ちていて、何度かに及んだ情交の後眠っていたらしい。
行灯に灯が入っていて、じわりと痛みを感じる目に、優しい明かりが部屋全体を照らして見せていた。

「ここへ来る間、お前と初めて会った夜を思い出していたよ」

飛田が目を覚ました事に気付いた影山が、唐突に話し出す。

「…ああそれから、二度目に会った時もだ」

ひどく昔の事のように、遠くを見て懐かしむように。
しかしそれはほんの半年前に過ぎない。

「お前は血の赤を見て笑っていて、こちらを見ても口元がわずかに上がっただけだった」

目まで微笑むのは、いつだって鮮血に手を浸す時だけ。

「お前が血を好むようにね、私は人と人とが憎み合う様を愛しているんだよ」

憎しみこそが、真に美しく物を形作る。
何よりも深く、脆い繋がり。
だからこそ、美しい。

「…ええ、存じております御前」

男はこの夜も、主を見上げて微笑んだ。

《終》

続きは既刊で!!(営業)
LinkIconNovel TOPへ戻る